久しぶりに…6年ぶりでしょうか。
ある方から電話がありました。
お孫さんが小学1年生の時に
ウチにレッスンに通ってこられていましたが、
今回は「知り合いの方を紹介したい」という
お話でした。


お孫さんには、ピアノも歌も可能性を感じて、
厳しく指導した記憶があります。
「ミュージックフェスタ」
という錦糸町の「すみだトリフォニー」で
発表会を行うにあたって
その日を終えて、やめられ他の教室に移りました。
引き止めませんでしたが、
正直、「これから」と思っていたので
残念に思ったことを覚えています。


でも、未だに私のことを覚えて下さり、
「そのお陰で中学に入って音楽を選んだ」と
お電話を頂けるのは、ありがたいことですし、
その時していたことが報われた…と思いました。


よかれ…と思っていることが仇になったり、
誤解されたり、
良い方向に向かないことは
少なからず、あります。
でも、時間はかかるかもしれませんが
解ける日が来るんだ…と改めておもいました。


すべてに「時がある」という聖書の言葉*1が
浮かびました。


*1:伝道の書 (コへレトの言葉)/ 3:1〜3:11
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、
なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、
ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、
人は神のなされるわざを
初めから終りまで見きわめることはできない。






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