「サムソン」

「サムソン」…と言えば
韓国の電機メーカーを
思い浮かべる方も多いと思います。
「サムソン&デリラ」なんて
聖書から抜き出した「理髪店」もウチの近くにあります。
芸術関係の方なら
「サムソン&デリラ」という「オペラ」を
あるいは「絵画」を
思いだされる方もおられるかもしれません。


「サムソン」と呼ばれる勇者が聖書に出てきます。


黒々とした髪に最近していて
先日「サムソン!」なんて呼ばれたりしましたが、
聖書に出てくる勇者であっても
あんまりいい気持ちは正直しないです。。。
私の中で「サムソン」は
やはり「パウロ」に並んで「変わり者」だと思っているので。
(でも、昔パーマかけ過ぎで「奈良の大仏!」とか
言われたことも。。。それに比べればマシですが)


この「サムソン」の話しは有名なので
皆さんご存知だと思います。
http://www.emimatsui.com/subject/old_testament/old06.html)


与えられた力が神からのものである…という自覚が消えた時、
その力を失うことになるのでしょうか。


そして、
与えられた「力」を
与えられた「場所」で
与えられた「時」に使う…このことが
使命を果たすことなのだと教えられるような気がします。


その時、
どんなに「弱い」と感じていても
どんなに「無理だ」と感じていても
開かれた扉に向かって歩くでしょう。
そして一歩づつ、歩く力も備えられる。


20数年、イエス様一本で気付いたことがあります。


それは、「私が計画した通りにはならない」ということ。
私の思いより、はるか上のことなので
決して理解できない…ということ。
そう、「理解できないことを理解した」訳です。


ただ、法則的なことが聖書にございまして
「マイナス」が必ず「プラス」になるという事実。
最近は「マイナス」があった時、
「主がこれを『善し』とされたのだから
意味があるのだろう」と、少し思えるようになりました。
そう思えると、「マイナス」が
ワクワク…まではまだ行きませんが
その先が楽しみになるようになってきました。


「マイナス」をニコニコしている姿は
やはり、「変わり者」に見えるかもしれません。







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