「復活」

きょうはイースター
エス様が復活された「復活祭」。
そして、
新しい「年度」を迎える。
新しい「出会い」があり
再び、この地では会えない「別れ」があった。
人は「人生」を翻弄されながら
全うしていくのですね。


ただ「翻弄された」と言っても
その場、その場の「節目」「節目」で
立ち止まるも、方向を転換するのも
自分の道を決定してきたのは
紛れもない「自分自身」。


ただ、「背後に神様」
(感じる、感じないは別として)
神様の御手の中にあることを知るなら
大きく物の捉え方が変わってきますね。


他人や環境の「お陰」はいいのですが
「せい」にすることはできない。
それは、いずれは「いい訳できない」ところ、
神の前に出て行かなければならない
その時が来ますから。
ただ、不思議に「助け」を
あるいは「守り」を少なからず
皆さん、体験されている。
ただ、それが「邪魔」と感じるか
「助け」と考えるかは自分次第かもしれません。


ある人によっては
最期の日が永遠の「苦しみ」の始まりとなり
ある人によっては
その日が「苦しみ」の報われる
永遠の「喜び」に変わる。


先日、20数年、
病床にいたオバが天に召された。
私にとっては
ある意味「母以上」の存在であり
このオバによって
私が踏み外すことがないように
与えて下さった、まさに「助け」であり
特別な存在だったと言えます。


オバが生前、入院中
「天国」の夢をハッキリ見ています。
オバ本人は、そこが「天国」だとは
理解されていませんでしたが
紛れもない聖書に書かれている通りだったのです。
黙示録7:9
しゅろの葉(なつめやしの葉)を
手にしていたことも証言しました。
(もちろん、「しゅろの葉」という言葉ではなく
「細い枝の先に葉っぱが付いているものを
みんな持っていた」と。)
*「もあMOREのひとりごと」(いのちのことば社)にも
書かせて頂きました。


私はもちろん、
「天国と地獄」があることを信じていますが、
その時ほどリアルに感じたことはありません。
そして、そのことを思い出す度に
今の「苦しみ」が小さいものと感じ
前に進めるのです。
そして、またオバたちに天国で再会できる
希望が湧くのです。








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「幸せ」

「頭脳」で動く人をみると尊敬しちゃいます。
もちろん、私は、アナログ人間なので
突然このブログに入れない…なんてこと
FACEBOOKから出されることもアリです。


でも、ご心配なく…です。
その時は、(人にお願いしたりして)
直す努力をしますが
でも、干されたら、
新しくする、「時」かもしれないですし…。


とにかく、本当に「人」は面白い。
頭で動く人もいれば、私のような人もいる。
きょう、初めて会った方にも言われましたが
「もしかして、感覚だけで生きてます?」
的なことを聞かれ、「見抜かれてしまった!」
と思いましたから…。


友達とはなしていても
「○○さんね…」
「○○さんと言われても…名前と顔が一致しなくて」
○○さんのヒントをサンザンいただいて
「多分、息子さんがミュージシャンの方でしょ」
とトンデモナイところだけ記憶している。


前にも
「山本さん!山本さん!」
そう呼んでも一向に振り向いてくれない。
「なんで無視するの?」と目の前に行ったら、
「私、山本じゃないよ!」と大笑い。
雰囲気で「山本さん」と思ってしまった…。


人はそれぞれなんだな…。
こんな教会学校の歌が、そういえばあった。
♪〜薔薇は薔薇のように
   すみれはすみれのように
   すずめはすずめのように
   鷲は鷲のように〜♪


比べる必要はないって歌ですね。
与えられた所で咲くってステキだな…。
精一杯咲くことが
「幸せ」ってことかもしれない。
遠いことじゃない…と思ってるんですけどね。








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どちらのプロフェッショナル!?

ご無沙汰いたしております。


実は、ウイルスにかかってしまい
ネットが開けなく…他もまったく作動しなくなり
本当に参ってしまいました。
「依存」はしてないにしても
(だいたい、パソコンは
普段でもショッチュウ開いている訳でもないのに)
こんなに困るとは思いませんでした。


今回、
リカバリー」しないと無理かも…と
ファイルを捨てるか、パソコンを放るかの勢いでした。
いろいろ「駆除」の会社をネットで調べ
祈る思いで、電話を1件づつし、
やっと「任せてみよう」という思いが湧いた会社に
導かれました。
そして、なんと、わずか1日(朝届けて、次の日の夕方
取りに行きました)で直していただき
(失われたファイルはひとつもありませんでした)
なんと元通り以上(セキュリティー入り)でしたので
本当に感動しました。


そして、なんと、それ以前にすでに
私のデーターなどしっかり流れており、
どこかに送信されていたらしいのです。
つまり、ウイルスにすでに感染していたことが
今回のことで判明したのです。
もちろん、一緒に除去していただきました。
ですから、かえってラッキーでした。
(前に、充電型電池をパソコンにつけていましたが
消した筈なのに、ついていて、電池を外しておりました。
これで、「納得」しました。)



*ご注意!!
<ウイルスにかかった経緯>
ある「ヴォーカル」のHPを開いたところ
「警告」が2回出てきました。
「×」で「警告」画面を消すと
突然「AVAソフト。プロフェッショナル」と英語の画面。
まるでセキュリティーソフトのような惑わす画面。
「89ドルで除去できる」と。
(ただ、ここのHPが問題なのではなく、
セキュリティーが甘いところにタカルようです。)


「プロフェッショナル」!?


今回のことで
本当に「ウイルス」で人をオトシめるプロもいれば
自分の持ち味で「感動」を与えられるプロもいる。
人に害を与えるために生きるのか、
人に喜びをもたらすために生きるのか


同じ「人間」なのに
この「差」はなんだろう…と思いました。
オギャ〜と生まれてきて
どこから、別れていくのでしょう。











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お知らせ

袖ケ浦高校吹奏楽部 定期演奏会のお知らせ


3月24日(日)14:00開演
袖ケ浦市民会館大ホール
無料


吹奏楽がメインです。
アトラクションとして1曲。
「RIDE ON KING JESUS」(ゴスペルコーラス)
私が編曲、指導しました。


ご都合よければ是非
お越しくださいませ!
楽しみにしていてください!








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「お金」

「教会もやっぱり献金するんだ」と言われる方がいます。
確かに尊い献金で教会は運営されていると
思いますが、「強制」ではありません。


「富のあるところに心がある」と聖書にありますが
まさに、惜しみなく払える場所が
自分の心の場所なのでしょう。


信仰を持ち始めのころ
私は、かなりの献金を納めていました。
それは、教会の知人が
献金だけは神様を試せるんだよ*
祝福が捧げた以上に戻ってくるから。」


*聖書:マラキ書 / 3章 10節
「十分の一の献げ物をすべて倉に運び
わたしの家に食物があるようにせよ。
これによって、わたしを試してみよと
万軍の主は言われる。
必ず、わたしはあなたたちのために
天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。」


まぁ、私としては本当に単純に
「神様の祝福をいただきたい」という下心で、
十分の一以上を捧げていました。
確かに収入も「うなぎ昇り」になりましたが
ある時、
「これを貯金したら、いくらになったのだろう」
とパチパチと計算をしてしまいました。
このお金で、もっといい車が買えた、
海外旅行ができた…そう思うと、
いきなり「献金」することが惜しくなり、
いつも第一週目に納めている献金
伸ばし伸ばしし、出し渋っておりました。
しかし結果は
一ヶ月分の献金のお金が
進入禁止、駐車違反、スピード違反
に払わなければならなくなり
痛い出費と共に「減点」という
ダメだしを頂きました。


そして、ある夢を見て…いつかお話しますが
それ以来、私は「渋々」ではなく
喜んで、捧げることに決めました。
(神様は心を見られるので…。)


「お金」を惜しみなく払える場所、
喜んで払える場所…そこに
心があるのがわかるなら、
今、何が自分にとって一番なのか
わかるっていうのも
実に興味深い話です。



誤解がないようにですが、
決して私自身が確かな間違えのない
「経済観念」を持ち合わせている訳では
ございません。


主人にいつも言われます。
「足は2本しかないだろう」
…それは私の靴の数を見て。
「腕は2本しかないだろう」
…それは私のバックの数を見て。
貧相に見えないのは、
高価なものは食べていないが
しっかり食べているからかもしれない。
「痩せたら着よう」という数多くの洋服たちも眠っている。


そうです。まだまだ
この世に心が捉われているのです。
この「欲」が少しづつ消えて
きっと、もっと身軽になって天国へ。


死んだら何も持っていけないですし…。
今度、ガレッジセールをして処分しよう…と思っています。







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成長の恵み

昔、よく傷ついた。
考えてみれば、自分のために
よく涙を流していた。


今は「心」が丈夫になったか
あまりの打撃にバカになってしまったか…。
いえ、
いろいろな出会いの中で、
いろいろな学びを通して…。
陰でお祈りして頂いている方がおられること、
今の教会にしっかりと繋がっていることで
成長させて頂いているのでしょう。


ただ…前にブログでも書きましたが
以前より「楽」に生きれるようになったことは
間違いないのです。


最初は
ワナにかけられ見事に掛ってしまい、苦しみました。
次の段階は
「ワナだ」とわかっていて
飛び込まなければならないことが起こり…、
今は
どんなことが待っていても
「神様の許しなしには起こらない」
というチャレンジのステージ。


神様により頼んだら
「良し」と見えなくても
神の目から見たら最善なのだ…と。


人は「あなたのため」と言っても
自分のために言ったり、行ったりする。
でも、神様が許されたことは
「私の最善」と思えば
どんなに人の手を通しても
「最善」と思えないその結果に
文句どころか、感謝に…。


チャレンジのステージは
もちろん、クリアした訳ではないので、
この先、クリアできたら、どんなステージが
待っているのだろう…。
いや、完全制覇はできない
「永遠の課題」かもしれないですね。  


とにかく、
「成長」させて頂ける恵みは
なにより「ありがたい」ことです。








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「召し」

いつもいろいろな方に言われるのは
「あなたは歌うために生まれて来た」。
確かに、私はそのために、
その「使命」を預かっていると思うことがある。


ある方のビデオを見た。


その女の子が同乗している車に
酒酔い運転のトラックが正面衝突した。
瀕死の状態から奇跡的に回復されたが
外傷は顔反面に多少のマヒが残り、
もうチアリーダーとして
飛んだり跳ねたりはできなくなった。
そして、重度の「脳障害」を持つこととなった。
しかし、
高校1年の彼女の事故当日の日記にこう記されていた、
「これから、もっと神様に仕えていきたい。
もっともっと輝くために」
あらゆる面で自分の夢を達成してきた彼女の願いだった。
しかし、この事故で意識、記憶を失い
人生のやり直しを余儀なくされた。
母親が「元に戻して…」と真剣に神に祈ると
神様が答えられた。
「普通がそんなにいいか。私はもうすでに備えている」と。
自分の子供であって、自分のものではないことを自覚し、
神様に苦しいが明け渡した。


驚いたことが二つあった。
それは、意識が戻った最初の一声が
聖書の言葉だったそうだ。
もう一つは、彼女は事故後
人が変わったように
大勢の人の前で「イエスキリストが救い主である」と
大胆に語るようになった。
それは母親いわく、「新しい賜物が与えられた」と…。


神様は私たちに
「賜物」を与えられる。
それは、人に勇気を与え、笑顔にさせる。


「賛美」という賜物は
人から見れば羨ましがられるかもしれない。
でも、多くの試練も同時に与えられる。
「障害」という賜物は
「なぜ?」人には理解できないことかもしれない。
でも、多くの助けも同時に与えられる。


ちなみに、前に出て歌う…これは
昔、「奴隷」の役割だったそうです。
人を喜ばすために
勇気付けるために
神様のご計画に従って
ただ与えられた「召し」に従うだけ
…それが最高の生き方なのでしょう。









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